紀州へら竿カタログ
紀州へら竿
一覧

関東では、柴舟、伊田釣具店、黒べゑ、などの専門店で、紀州へら竿の新作を購入することができます。

右のガイドブックは各店とも無料で配布されていますので、購入の参考としてお持ちになることが出来ます。

参考文献 紀州へら竿のカタログ



壮志

壮志「全てはへらぶなとの対話の為に」

叔父である京楽に入門するが、京楽が病の床に伏せた為に父である芸舟に師事を得る。

とにかく研究熱心で全国各地のつり場へ出向き、様々な経験を経て硬式胴調子の竿を多く手がけるようになった。

握りの美しさなど見た目もさることながら機能優先の竿作りで穂先から元まで一体となって働く、へら鮒との駆け引きを存分に堪能できる感性溢れる作品を送り出している。

そしてまたへら師の期待を裏切らない為に今日も自らの技を磨き、切磋琢磨する探究心旺盛なへら竿師である。

壮志 昭和35年12月27日生まれ 昭和57年 京楽入門、後、芸舟へ入門



和彦

和彦「若手ながら丁寧な作り込み」

釣り人に「手に入れて良かった」と言ってもらえる竿を作りたい。そう語る若手の竿師。

へら釣りが大好きで竹竿を使い感動したのが入門のきっかけ。キャリアは浅いが研究熱心で優れた観察眼を持ち、硬い竿を中心にシンプルながらも丁寧な作り込み。

「竹竿は一生修理が出来る、故障を恐れずにどんどん使って欲しい」と、アフターも万全。

個人個人の注文を懇切丁寧に聞き、意欲的に仕事に取り組む様からは「竿作りが楽しい」という声が聞こえて来そうだ。

和彦 昭和43年3月21日生まれ 平成10年 山彦忍月へ入門



一文字

一文字「奢らず、挫けず、真求の竿作り」

幾ら仕上がりに日数が掛かっても、それぞれの工程を自分で満足できるまでやり通すと言う頑固なまでのへら竿師である。

一文字の竿はバランスが良く長年使ってもくるいが生じにくい。

それは師匠である大文字五郎のすすめで至峰にもまた師事を得、自分が納得いくまで徹底的にこだわった作品作りをしているからである。

その為に惜しみない多くの時間と労力を作品に注いでいる。一文字の竿にはそんな「自分で納得できなければ釣り人も納得しない」、そんな思いがにじみ出ている。

一文字 昭和12年2月19日生まれ 昭和29年 大文字五郎に入門



恵舟

恵舟「変幻自在の竿作り」

恵舟の竿作りは年々変化している。一つのスタイルに囚われず、様々な硬さ・調子のへら竿を作っている。

「こだわり」が無いのではない、当人も無類の釣り好きであり研究熱心な性格であるが故に魚の大型化や環境に敏感でそれに応じた竿作りを行っているのだ。

へら竿一筋四十年、その間に様々な先輩竿師に師事を仰いで修行を重ねて自己の技術向上に励んできた。

こうして培った抜群の製竿センスと妥協を許さない厳しい姿勢で多くのへらぶな釣り師を魅了している。

恵舟 昭和16年3月8日生まれ 昭和31年 魚心観へ入門



魚集英雄作

「世界に向けて紀州の和竿を」

名匠・魚集の実子である魚集英雄は大学卒業と共にへら竿作りに人生を懸ける覚悟で父に入門、師事を得る。

硬式で胴調子の竿を中心に機能性は勿論、意匠にもこだわった竿作り。常に竹と対話し、その長所を最大限に引き出したその作品は多くのへら師の支持を受けている。

「竹竿は心に豊かさを与える道具であって欲しい」との思いから行動力も旺盛。海外に出向いたり、研究やファンとのコミュニケーションを怠らない姿勢からはこれからの和竿を真剣に考える姿勢が伺える。

魚集英雄作 昭和29年8月22日生まれ 昭和43年 魚集へ入門






芸舟作

芸舟作「後世に残る竿を目指して」

漆絵や蒔絵など竿の握りに描かれている模様が艶やかな作りの芸舟の竿。

幼少から絵を描くのが大好きだった事もあってその美しさには目を見張るものがある。

しかしその裏には「竿はただの道具の一つ、絵は付加価値である。」と語るように素材を知り尽くし、ひずみが生じにくい堅牢な竿作りを行う姿勢がある。

「壊そうと思って使ったが壊れなかった」と冗談交じりに言われたこともあったとか。

見た目から釣りまで楽しめる芸舟の竿は実用性と遊び心を兼ね備えた逸品である。

芸舟作 昭和8年5月16日生まれ 昭和25年 忘我へ入門



一光

一光「使い込む程に味の出る竿を」

一光の竿は細身で張りのある竿である。素朴な作りのその作風からは想像できない程の多くのファンがいる。

元々生活の為にだけ始めた竿作り、しかしお客さんが「買って良かった。」と喜んでくれたことが一光の竿作りに対する情熱をかき立てた。

以降多くの竿師の意見を取り入れながらも特に生地組みにこだわり、穂持ちに固くて良質の高野竹を使ったスタイルを変えることなく一心に竿を作っている。

一光の竿は使って初めて良さが分かる、「使い込む程に味の出る竿」である。

一光 昭和10年8月2日生まれ 昭和35年 田中に入門



美峰

美峰「甘えを許さない竿作り」

釣りと物作りが好きで入門するも親方である雲影の都合により一年で独立、試行錯誤と努力の日々を送り現在の名を得る。

苦労人で気さくな人柄であり、妥協のない竿作り。

製作後に少しでも迷いの生じた竿、実際に自分で使ってみて少しでも納得のいかない作品は、市場に送り出さないという気の入れようである。

シンプルで素朴な作風であるが、釣り心地の妙を極め、へら鮒とのかけがえのない瞬間を味わえる美峰の竿は、大型のへらぶな用の竿が全盛になりつつある今も色あせない銘竿である。

美峰 昭和11年3月8日生まれ 昭和30年 雲影に入門



浮草

浮草「絶妙のバランスを見極める」

結婚と同時に義父である橋本へら竿の開祖、源竿師に師事。

一つ一つの工程に時間と神経を注ぎ込み、丈夫かつ繊細、芸術性の高い竿作りを行っている。

「野山にある竹が格調あるへら竿に変わっていく様がこの上ない喜び」と語る通り、その作品からは竹に命を吹き込んだかのような芸術性のある美しい作り込みが伺える。

機能面に於いても、「振り込み時と取り込み時の相反するしなりに対応できるバランスが竿の命」と生地合わせなど拘りのある竿作りを行っている。

浮草 昭和14年1月3日生まれ 昭和37年 源竿師に入門



至峰

至峰「飾らないがゆえの美しさ」

昭和21年、師光の一番弟子として入門し、3年の修行の殆どを竹の選別に費やしながら合間を縫っては師に竿作りの基礎を学んだ。

昭和23年に「光作」銘で独立し、その後の昭和28年に現在の「至峰」銘に改銘した。

以来、師譲りの機能優先でシンプルな「至峰調」と呼ばれる先調子の竿作りを普遍のスタイルとして守り続けている。

シンプルが故にその欠点が露呈しやすい竿作りを続けているのは、そこに「本物」のみが持つ「美しさ」を求める姿勢があるからである。

その反面、「いいと思った事には何でも挑戦してみる」と失敗を恐れない人物でもある。

至峰の竿はへらぶなが掛かっても竿が生き物のように引き上げ、自由自在にへらの動きを操れる、使い込む程に感銘を受ける魅力溢れる竿である。

「着飾らない本物は詫び寂びを兼ね備えた美しさを醸し出す」。つり師の心を捉える竿作りは本当の意味で名匠であると言える。

至峰 昭和4年5月19日生まれ 昭和21年 師光に入門






影舟

影舟「一本一本に変わらぬ愛情を」

農家の長男として生まれたが身近にあった竿作りの道に入った影舟。

現在のブームに合わない細身で華やかさの少ない作風でありながら、その愛情こもった作りこみのよさで多くのファンの支持をを受けている。

見た目の美しさよりも愛着のある道具として大切に使ってもらえるように手間ひまや努力を惜しまず、素材を生かしきった作りの影舟の竿。

使うほど変化し、釣り師と共に成長していく過程が楽しみ。使い込むほどに手に馴染んでいくのはへら釣り師として至宝の逸品になるだろう。

影舟 昭和12年1月29日生まれ 昭和31年 げて作に入門



山彦忍月

山彦忍月「常に前を見て新しい工法を」

現在の名匠である山彦の長男として生まれ、父を慕ってへら竿の世界に踏み入る。

竿師としての技術力や探究心は勿論の事、これからの竹竿界の事を考えて積極的に行動する人物である。

実直真面目な性格で妥協を許さない、常に上を見て細部まで努力を怠らない竿作り。

その作風は父譲りで見て美しく、釣って楽しい数多くの銘竿を生み出している。

竹竿への入門用竿として高野竹とカーボンの穂持ちを持つ合成竿を作り、特許を取得するなど大胆で新しい工法にも力を注いでいる竿師である。

山彦忍月 昭和29年9月13日生まれ 昭和44年 父である山彦に入門


京楽

京楽「使って初めてわかる味のある竿」

実兄であった忘我に入門して以来、約半世紀に渡ってへら竿を作り続けてきた京楽。

「へら師が存分に楽しめる竿を作る」を信条とした竿は柔らかめで細く、素振りでは頼りなく思えるが魚が掛かるとバランスが良く、胴に魚が乗る感覚とそのやり取りを存分に楽しめる竿である。

また「竿は釣るための道具である」との考えから、へら師の要求に応えられるように研究の日々を過ごしている。

京楽 昭和12年2月23日生まれ 昭和30年 忘我に入門



玉成

玉成「竿と共に成長し続ける」

実父であるへら竿師、東峰の背中を見ながら育った玉成は幼少の頃より竿師になる事を夢見て育つ。

その伝統を受け継いだ作品の数々。最も得意な竿は長尺で「長尺の東峰」と言えば有名であった。

派手さはないが素材の持つ微妙な特徴の違いを見極めて調子のバランスに拘り、竿としての機能を優先した作品作り。

現在では長尺に拘らす様々なへら鮒釣り師のニーズに応え、多くの支持を得ている。

素材への拘りは人一倍で研究熱心。竹竿に魅せられたへら師ならば一度は使ってみたい竿である。

玉成 昭和32年10月22日生まれ 昭和55年 東峰に入門






魚集

魚集「今なお至上の竿を目指して」

昭和12年に12歳にして紀州へら竿の開祖である源竿師に入門。

休みは月に2日だけという厳しい修業の中で親方に隠れて見よう見まねで竿を作り、試行錯誤する日々を過ごしつつ竿作りの技術を身に付けていった。

後に24歳で「竿城」銘で独立し、31歳で「魚集」銘に改名して現在に至る。

「名を残してこその名匠」という師の言葉通り、持ち前の負けん気の強さで数々の名誉を得た現在でも「至上の竿を求めて一生やっていきたい」と竿を探求する日々を過ごしている。

魚集の竿はその生き様を表したかのような剛健で長持ちする竿である。

しかし一方の装飾の面でも握りの部分に「かぶら巻き」と言われる籐を巻きつけたデザインを考案し、見た目も美しい機能的な竿を作り出した。

数々の名誉を手にした今でも「売値以上の価値を出して当たり前、とにかく誰にも負けない竿を作っていきたい」と熱く語る、名実共に現在における名匠である。

魚集 大正14年3月27日生まれ 昭和12年 源竿師に入門



世志彦

世志彦「見た目の美しさにも応じられる実力派」

父である英竿師の背中を見て育ち、高校卒業後に企業に就職するが由あって父の兄弟弟子であった八雲に入門し師事を得る。

とにかく研究熱心で「へら師の要望に応えたい」、との思いから勉強の日々を過ごしている。世志彦のへら竿は藤巻きの握りや乾漆を使った色鮮やかな、見た目にも楽しめる竿である。

デザイン等はオーダー可能で自分の思い通りの竿に仕上げられる。また、硬さや調子などもニーズに応じる。

機能面から見た目までどんな要望にも応えられる成長著しい竿師である。

世志彦 昭和33年1月30日生まれ 昭和58年 八雲に入門



山彦むらさめ

山彦むらさめ「様々な可能性への挑戦」

山彦忍月の実弟。二人兄弟の次男坊として生まれ、高校卒業後に兄に続いて父である山彦に入門する。

真面目で一途な性格であり、抜群の製竿センスで繊細な竿作りを行なう匠である。

各工程に於いて一切の妥協を廃し、納得の行くまで我が子を育てるように愛情込めて作る竿は、藤張りの握りや透かし巻きなど見た目の美しさもさることながら実際に使って存分にへら鮒との駆け引きを存分に楽しめる作り。

「これからも新しいことに挑戦して様々な可能性を切り開いて行きたい」と語る楽しみな竿師である。

山彦むらさめ 昭和32年1月9日生まれ 昭和50年 父である山彦に入門



続いて 魚心観 光司 至連 心道  源一人 瑞雲 小影舟 夢坊作 こま鳥 山彦 八雲
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